最終更新日:2023年11月3日
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世界的なゲーム会社として知られる任天堂は、最初は京都で花札の製造からスタートしています。
後の任天堂となる事業を築いた山内房治郎氏が花札製造を始めたのは1889年(明治22年)のことで、日本で初めてトランプの製造も手がけた実績も持っています。
1947年 (昭和22年)に株式会社丸福を設立し、1949年 (昭和24年)に曾孫の山内溥氏が取締役社長に就任し、1951年 (昭和26年)に任天堂骨牌株式会社に社名変更しました。
その後、日本初のプラスチック製トランプ製造の成功、ディズニーキャラクターを使用したトランプを発売するなど、トランプ事業を手がけています。
現在のゲーム事業からは想像もつかない、ベビーカーの販売を手がけている時期があります。
昭和40年代にママベリカというベビーカーを発売しており、アルミを使用した軽量なベビーカーでしたが、部材が折れるといったクレームが起こり、回収を余儀なくされ経営が窮地に陥ってしまいました。
任天堂はかつてコピー機の販売をしていた時期があります。
コピー機の販売はゲーム機事業に着手する前の1971年(昭和46年)のことで、コピラスという簡易コピー機を販売していました。
当時としては破格の9,800円で販売しましたが、オフィスでは綺麗にコピーできることが求められていたためあまりヒットせず、大学のサークルや同人誌サークルなどで需要があったようです。
1973年 (昭和48年)に業務用レジャー・システム「レーザークレー射撃システム」を販売し、1977年 (昭和52年)に家庭用テレビゲーム機「テレビゲーム15」「テレビゲーム6」を販売しました。
これを機にテレビゲーム機の開発に着手し、1980年 (昭和55年)に販売した携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」で大成功を収めました。
紆余曲折、試行錯誤を繰り返し、辿り着いたのがゲーム事業です。
今では世界的な企業である任天堂も、最初からうまくいっていたわけではありません。
任天堂のように現在大成功を収めている企業が、どのような経緯で成功に至ったのかを知ることは、経営者にとって非常に参考になると思います。
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